ホットコーヒー親類のものから西洋製のナイフを貰(もら)って奇麗(きれい)な刃(は)を日に翳(かざ)して、友達(ともだち)に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲(こう)をはすに切り込(こ)んだ。幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅(かた)かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕(きずあと)は死ぬまで消えぬ。庭を東へ二十歩に行き尽(つく)すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中(まんなか)に栗(くり)の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸(せど)を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋(やましろや)という質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎(かんたろう)という十三四の倅(せがれ)が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖(くせ)に四つ目垣を乗りこえて、栗を盗(ぬす)みにくる。ある日の夕方折戸(おりど)の蔭(かげ)に隠(かく)れて、とうとう勘太郎を捕(つら)まえてやった。その時勘太郎は逃(に)げ路(みち)を失って、一生懸命(いっしょうけんめい)に飛びかかってきた。向(むこ)うは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢(はち)の開いた頭を、こっちの胸へ宛(あ)ててぐいぐい押(お)した拍子(ひょうし)に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷(あわせ)の袖(そで)の中にはいった。
2009/08/14(金) 13:32 グルメ 記事URL COM(4) TB(0)

この記事へのコメント

三年間まあ人並(ひとなみ)に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定(かんじょう)する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。
タロウ 2009/08/14(金) 13:39 編集 削除
分でも可笑(おか)しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。
タロウ 2009/08/14(金) 13:39 編集 削除
月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎(いなか)へ行く考えも何もなかった。
ゆきこ 2009/08/14(金) 13:39 編集 削除
野蛮(やばん)な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。
しんじ 2009/08/14(金) 13:40 編集 削除

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